安田記念 今週のニュースはARASHI?
おりしも夕方から降り始めた雨が、激しさを増してきたころあいだった。
「いらっしゃいませ~、何名様?」
引き戸がガラガラっと開いて客が入ってきたのを察し、女将の通る声が店内に響いた。
「いや~、だいぶ雨が強くなってきましたよ」
「な~んだ、橋田君か」
入ってきた顔を見るなり、女将のトーンが露骨に下がった。
「『な~んだ』とは何だよ」
歩きながら文句を言う橋田に、女将は何も言わずべぇーと舌を出した。同級生とはいえ、何年たっても仲が良いもんだ。橋田がテーブルの前まで来ると、俺たちに「お疲れ様です」と頭を下げた。
「お疲れ。そっちは忙しそうだな」
俺と林は、今日は雨が強くなる予報だったため、早めに現場を片付けて少し早い時間から一杯やっていたのだ。林も軽く頭を下げて後に続く。
「橋田さん、ビールでいいっすよね。こっちも雨のおかげで早めに切り上げてきましたよ」
「この雨じゃ、現場は進まないか」
「そ~なんですよ~」
女将がキンキンに冷えた生ビール、そしてお盆からはみ出さんばかりの山盛りポテトフライをテーブルに置いた。
「はいどうぞ! ちょっとあんたたち、外の雨に負けないくらい景気よく飲んでよね! 台風のおかげで今夜の予約、ぜーんぶキャンセルなんだから!」
女将はガハハと豪快に笑いながら、ジョッキをテーブルに叩きつけるように置いた。元気よくジョッキを持ち上げた三人だったが、引き戸がガタガタと風に震え、外の雨音がさらに一段と激しさを増していく。
「おいおい、客の俺たちに八つ当たりすんなよ」 橋田が苦笑いながら、おしぼりで顔の汗を拭う。
「それにしても、予約キャンセルって……店、大赤字じゃねえか。大丈夫なのかよ?」
「何言ってんのよ! こんな日でも律儀に来てくれるあんたたちみたいな『大馬鹿野郎』が3人もいれば、アタシの心は満席よ!」
女将は胸をドンと叩き、すかさず「で、次の注文は?」と伝票を構える。
「いや、まだ前のツマミが残ってるっすよ……」
林がもつ煮をハフハフと頬張りながら、圧倒されて身を縮めた。窓の外へ視線をやりながら呟く。
「それにしても、本当に台風が直撃するんじゃないっすか?」
「予報じゃ夜半には抜けるって言ってたが、この鳴り方はちょっと不気味だな」
寺田が冷えたビールを喉に流し込み、焼き鳥の串を皿に置いた。
女将は「ケチケチしないの!」と再びべぇーっと舌を出した。
その時、一際強い突風が吹き付け、店内の照明が一瞬だけフッと暗くなった。
「うわっ、停電か!?」 林が声を上げる。薄暗くなった店内。外の激しい雨風の音だけが、急に大きく聞こえてきた。
男たちが一瞬身構えたその時、暗闇の中でマッチを擦る鋭い音が響いた。ポッと灯ったのは、女将がどこからか持ってきた古びたキャンドルだった。
「はい、お立ち会い! 台風の夜限定、ムード満点のラグジュアリー居酒屋へようこそ!」
女将はキャンドルの光に照らされた顔でニカッと不敵に笑ってみせた。その堂々たる態度に、店内の不穏な空気は一瞬で吹き飛んでしまう。
「……まったく、大したタマだよ」 寺田が感心したように呟き、再び照明がチカチカと復旧した。
「おっ、点いた点いた。じゃあ女将、その『最速のおもてなし』に免じて、ジャンジャン飲むからさ」
外は文字通りの大荒れ。しかし、女将の放つ圧倒的なエネルギーのおかげで、店の中だけはまるで台風の目の中にいるように、妙に温かく、賑やかな時間が流れ始めていた。
ダービーはだめだったなぁ・・
「いや~、それにしても先週のダービーはダメダメでしたね~」
早速、橋田が競馬の話題を切り出す。
「前日の津村の落馬事故の時点で、俺は嫌な予感がしてたんだよ……」
「僕は当日、フォルテアンジェロがめちゃめちゃ気になったんっすけど……結局どっちもダメでしたね」
◇◇◇俺は、昼休みのジョッキー紹介で岩田康成が力強く拳を高々と上げたポーズを見て、「内心もらった!」と確信していたのだが……外れたので黙っておくことにした。◇◇◇
「ロブチェンの走りは見事だったな。結果的に、林の『ジャイアンツ節』が当たってたってことか?」
「やめてくださいよ、寺田さん。でも今週はARASHIのニュースが多かったので、大野ジョッキーとか考えてましたが、安田記念には乗らないんですよね(笑)」
ゲラゲラと橋田が笑った。
「寺田さん、現場では気を付けてくださいよ。林の目の穴は節穴ってことですぜ」
「おい!」
俺はニヤリとしながら橋田と目を合わせた。
「ところで橋田、まだ梅雨入りはしてないが、この雨は週末まで続くのか?」
俺はビールを一口煽って尋ねた。箸を置きながら橋田が答える。
「いや、九州が梅雨入りしたかどうかってタイミングですし、この雨自体は台風の影響みたいですぜ。ただ、台風は今日で抜けるんですが、週末もすっきりしない予報でしたね」
「そうか。ここのところ毎週快晴が続いて、競馬日和の大連荘だったからな。速い時計勝負や上がり比べばっかりだったし、そろそろ重馬場のズブズブ競馬ってのも悪くないな」
「まぁ、最近の府中の馬場は水はけが良すぎて、なかなか不良馬場にもお目にかかれないですけどね」
本当にここ数年の東京競馬場をはじめとするJRAの馬場造園技術は凄まじい。前日の大雨が嘘のように、当日には良馬場まで回復することも珍しくもなんともないのだ。
寺田は心の中で、ジャスタウェイが勝った不良馬場の安田記念や、ピンクカメオ、シャンパンカラーが激走したNHKマイルカップの泥んこ馬場、大荒れレースの記憶を思い出していた。
意外と荒れる安田記念
「いや、雨だからって荒れるわけじゃないですよ。そもそも安田記念は、一見ガチガチそうに見えて、毎年とんでもない穴馬が突っ込んでくるレースなんすから!」
林が鼻息を荒くして会話に割り込んできた。
「ここ10年の3連単を見てくださいよ、万馬券にならなかった年なんて一度もないですからね。むしろダービーより波乱度は高いはずです!」
「ほう、詳しいな」
「去年なんか、ジャンタルマンタルとソウルラッシュの1番、2番人気で決まったと思いきや、2着に9番人気のガイアフォースが突っ込んできて、3連単は6万5970円っすよ!」
まるで自分が的中させたかのような熱弁ぶりだ。
「で、お前は当てたんか?」
橋田が意地悪く聞く。
「……いや、去年はガイアフォースを完全に軽視してました……」
ガックリとうなだれる林を見て、ひひひと橋田が下世話に笑った。
「いや、確かに俺も安田記念は荒れるイメージがあるな」 俺はジョッキの残りを飲み干した。
「ただ、ここ数年はソウルラッシュやセリフォス、シュネルマイスターみたいなマイルGⅠの常連が強すぎて、上位陣で決まりそうなイメージが染みついちまってたんだ。……女将、おかわり!」
「はーい!」
寺田の声が響き終わるか終わらないかの1秒後、女将がすでにジョッキを3つ持って背後に待ち構えていた。
「お・ま・た・せ~!」
確かに、雨のせいか時間が早いせいか、店内には他に客がいない状態なのだが……。
「暇だからって後ろで待ち構えてんじゃねえよ」
橋田が呆れて女将の顔を見上げた。
「あらヤダ、最速のおもてなしよ、あははは! つまみは何か追加しないの?」
林がすかさず注文する。
「それじゃ、揚げ出し豆腐と厚揚げ追加ね!」
その時、ガラガラ~と引き戸が開く音がした。
「いらっしゃいませ~!」
女将は林の注文をメモしたのかどうかも怪しいスピードで、新しく入ってきた客の方へ走っていった。商売熱心というか、雑というか……。
「……まったく、あいつは……」
橋田はいつも女将に手厳しい。そのまま、こちらに顔を向け直した。
「でも寺田さん、今年はあの『マイル常連組』のトップ層がガラリと入れ替わりますし、去年の覇者も出ないとなれば、荒れる余地は十分ありますぜ」
「林、どうなんだ。今年の人気上位陣の顔触れはどのあたりになりそうだ?」
林がスマホの画面をスクロールしながら答える。
「そうっすね、ガイアフォースやトロヴァトーレあたりが上位人気になりそうです。それに続くのが、パンジャタワーやレーベンスティール辺りっすかね」
寺田は持参したスポーツ新聞に鋭い視線を入れた。
「本当に、これでドロドロの荒れ馬場になったら、何が来てもおかしくないメンツだな……」
今度は橋田に水を向ける。
「特に、超抜群の調教で目立っている馬はいるのかい?」
「強いて挙げるなら、やっぱりパンジャタワーですかね」
「やっぱり」と言うのには理由がある。パンジャタワーは昨年のNHKマイルカップで、俺たちにいい思いをさせてくれた恩義がある馬なのだ。寺田と橋田にとっては、ひときわ思い入れが強い。
そこへ、「へい、焼き鳥、モツ煮、揚げ出しお待ち!」と女将が注文の品をテーブルに並べた。
あまりの早さに、寺田は「ほう……さすが」と一言漏らした。
「え? 何が~?」
忙しそうに立ち働く女将に、橋田が「なんでもねえよ」ときまり悪そうに視線を逸らした。
奥の席から「すいませーん」と声がかかり、女将が「はーい!」と小走りで向かっていく。
どうやら店内も雨にも負けず本格的に忙しくなってきたようだ。
雨脚が強まる外の音をBGMに、男たちの安田記念への妄想は、さらに熱を帯びていく――。
「前目で行くのはワールズエンド、あとは……」
寺田が呟き、噛り付いた焼き鳥がカリっといい音を立てた。
「可能性があるのは、セイウンハーデスかシックスペンスあたりですかね?」
橋田が続く。
「俺もそう思う。ガイアフォースも可能性あるが、外枠から無理してまではいかないんじゃないか」
「僕はシックスペンスが武豊に乗り替わって、前目に行くんじゃないかと思ってます」
林がもつ煮をつつきながら言った。
「パンジャタワーは外枠だが、スプリントを使ってきたせいで前半から行く気もしますぜ」
橋田はやっぱりパンジャタワーが気になるようだ。
「そうすると……主役はやはり差してくる馬か……」
言いながら、寺田は焼き鳥をビールで流し込んだ。
「寺田さん、差し馬だったら何が気になりますか?」
「うーむ、やっぱり、スズハロームとオフトレイルの2頭だな。去年3着のガイアフォースに敬意を払いつつも、やっぱり穴から狙っていきたいしな」
「大外のトロヴァトーレは名前が出ないっすね。ルメール様ですよ(笑)」
「データ的にも今年のGⅠはほぼ1番人気が勝ってますからね。ジュウリョクピエロ以外は」
確かにスターアニスの桜花賞から始まって、ロブチェン、ロデオドライブ、エンブロイダリーと人気どころが勝ってきた。穴狙いの寺田も心がぶれそうになる。
なかなか難解な今年の安田記念だ。
だが、予想する以上は穴から狙うのが寺田の信条である。
「スズハロームからだ。こいつの末脚と藤懸の初GⅠに期待して! まぁ、ガイアフォースとの2頭軸ってのが本線だな」
橋田は「俺は信じてます、パンジャタワーを」とジョッキを乾杯のように軽く上げた。
そして林は、「データ的に人気上位馬と『デ』や『ヴ』とか『ブ』が付く馬が勝っている」とオカルト的な話をしていたが、自分が気になるシックスペンスにはどれも入っていないと一人で騒ぎまくり、最終的には「やっぱりルメールっす」とトロヴァトーレを選んでいた。
天候も定まらず波乱の気配を見せる安田記念。さて、3人の予想はどうなるのか。
店の外では、本降りの雨が激しく、激しく激しく降っていた。
※この物語はフィクションです。
先週の結果
2026年5月31日(日曜) 2回東京12日 発走時刻:15時40分
天候 晴 芝 良
11レース 第93回東京優駿GⅠ
3歳 オープン (国際)牡・牝(指定) 馬齢 コース:2,400メートル(芝・左)
1着17番 ロブチェン 牡3 57.0 松山 弘平 2:22.7
2着13番 パントルナイーフ 牡3 57.0 C.ルメール 2:22.7 アタマ
3着 5番 バステール 牡3 57.0 川田 将雅 2:22.8 3/4
払戻金
単勝 17番 270円 1番人気
複勝17 番 130円1番人気 13番 250円4番人気 5番 650円11番
ワイド 13-17 550円 3番人気 5-17 1,950円 26番人気 5-13 3,850円 47番人気
馬連 13-17 1,460円 4番人気 馬単 17-13 2,290円 5番人気
3連複 5-13-17 14,280円 49番人気 3連単 17-13-5 47,050円 140番人気


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