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空馬ラプソディ~男たちの狂騒曲 第3話~

連続小説

日本ダービーのサイン馬券

 今週は月曜から晴天が続き、気温が25℃を超える日もたびたびあった。現場仕事でたっぷり汗をかいた寺田にとって、よく冷えたビールは何よりの栄養剤だ。 

一気にジョッキを空にして「女将! お替りお願い!」と、威勢の良い声が店内に響いた。

 「いや~、いよいよダービーですね。先週に続いて、今週もしっかり当てましょうよ!」 ご機嫌な口調で橋田がこっちを見た。手にはスポーツ新聞と赤ペンを握り締め、紙面にはすでに〇や△の記号が踊っている。

後輩の林もイカの一夜干しを頬張りながら、合いの手を入れてきた。
「いや~、先週のオークスはジュウリョクピエロとドリームコアで完璧でしたね。1番人気のスターアニスが12着に沈んだのは意外でしたけど……」

橋田と林の軽快な掛け合いとは対照的に、寺田の口は重い。
実は、先週のレースでジュウリョクピエロとエンネ(7着)の2頭軸から馬券を組み立てていた寺田は、2着のドリームコアをノーマークにしてしまっていたのだ。
結果、3人の中で彼一人だけが不的中という生き地獄を味わっていた。

「まぁまぁ寺田さん、ダービーは得意分野じゃないですか。今年も頼みますよ!」
「そうですよ、寺田さんと言えばダービー! 毎年バシッと当ててるイメージありますからね」
橋田がヨイショしながら、寺田を蚊帳の外にすまいと必死に会話へ引き込もうとする。

「そうっすよ、一昨年のダノンデサイルは見事でしたもんね。今年も何か、穴で良いのいないっすか?」 林もここぞとばかりに身を乗り出してきた。

しかし、一向に口を開こうとしない寺田。

――その不穏な雰囲気を察した橋田が、ガラリと違う話題を振ってみた。
「そういえば今週……巨人の阿部監督が逮捕されたニュース、マジでびっくりしましたよね」
元野球部の林も、その手のニュースには敏感だ。 「あ、あれは本当にびっくりしました! いきなり飛び込んできましたもんね」
確かに、月曜の朝から日本中を揺るがした今週最大のビッグニュースだった。

「なんか、今年のダービーはジャイアンツに関係する名前の馬が絡むんじゃないっすかね?」
林が面白がってニヤリとする。
「林……お前はいつからそんなサイン馬券に期待するようになったんだ」
ここでやっと、寺田が低く重い口を開いた。

「いや、だって寺田さん、有馬記念のときとか『その年の世相を表す馬が来るんだ』とか何とか言って、毎年買ってるじゃないですか」
「うっ……」 痛いところを突かれ、寺田はまた黙り込んでしまった。

「まぁ……子供のしつけに関して、逮捕となるほどの行為だったのかどうか、その場を見ていない人間には何とも言えんがな……」 寺田がそう呟いた瞬間、追加のジョッキを運んできた女将がすかさず口を挟む。

「子育てなんて、その家その家で正解が違うからねぇ! うちなんか毎日大ゲンカだよ。
『ふざけんじゃねぇクソババア!』『うるぇクソガキ!』の応酬さ、あはははは!」
毎度毎度、どこから聞き耳を立てているのか。
会話に割り込んでくるタイミングだけは神がかっている。

「寺田さんちのお子さんは、反抗期とかないんですか?」
橋田が女将からジョッキを受け取り、テーブルに置きながら尋ねた。
「いや、うちもカミさんとしょっちゅう喧嘩してるよ。毎度のことだし、ほっといてるよ」

寺田はビールの泡をじっと見つめ、ぽつりぽつりと話しだした。

「阿部監督のように、ずーっと野球やってきた、それこそ体育会系でプロ野球だって縦社会で勝負の世界だろうし、そんな中で生きてきた人が娘さんの反抗になにか許せないものがあったのかもしれないな・・・・」

「俺も、一度だけな。数年前のコロナのときだ。
息子はまだ小学生だったかな。
世間的にもだいぶ落ち着いてきた頃だったが、『不要な外出はするな』って時に、息子が公園で友達と遊ぶって言い出してきかなくてさ。
ダメだという母親の意見も聞かずに飛び出そうとした。
それで、俺が引き止めて我慢させようとしたときにさ……
『遊びに行けないなら、死んだ方がマシだ』なんて言いやがって……」



「あちゃあ……」
橋田と林が思わず顔を見合わせた。

二人は知っているのだ。寺田の前で、軽はずみに「死ぬ」とか「死んでしまえ」という言葉を吐くことは、冗談であっても絶対に許されないということを――。

そう、実は寺田の祖父は戦争で亡くなっており、父親も戦争で捕虜になり、戦後5年以上が過ぎてからようやく帰国したらしいのだ。常に寺田は「親父が戦争で死んでいたら、自分はここにいない」と自分に言い聞かせ、幾多の崖っぷちを乗り越えてきたという。

そして……彼にとって決定打となったのが、女川の現場にいた時に被災したあの震災だ。

定食屋のおばちゃんも、駐車場のおじいちゃんも、近所の保育園の先生も、子供たちも……。

二度と会えなくなってしまった人たちの顔が脳裏をよぎる。その無念を誰よりも肌で感じてきたからこそ、少し前までの寺田は、会社の若い連中に会うたび熱く語っていたのだ。
「その人たちの分も、俺たちは精一杯仕事して、生きなきゃならねえんだ」と。

だからこそ、軽はずみに出る「死ぬ」という言葉だけは、どうしても許せない。
不器用だが、どこまでも武骨で熱い男。それが寺田だった。

「あんときだけはひっぱたいて怒鳴りつけたもんだったが、今じゃご法度だな」
寺田がしみじみとした表情で思い返している。

「なんでも、お子さんが生成AIに相談して、そこから児童相談所に連絡がいったらしいじゃないですか」 橋田がスマホの画面を見せながら言う。
「へぇ、AIがねぇ……。今の時代はそんなことまでできるのかよ」 寺田が感心したように呟く。

そこへ、女将が「ねぇ、寺さんたちこれ食べない?」と、皿に盛ったそら豆を持ってきた。
「いただきものなんだけどね。初物だからお・す・そ・わ・け~」
「どうぞ食べて。馬券が当たったら私にもおすそ分けしてね、ははは!」



ふう、と話の区切りがついて、ビールをごくごくと飲み干した。
「ちょっと変な方向に話が行ってしまったな……」 寺田が苦笑いしながら言った。
「じゃあ仕切り直して、日本ダービーの予想だ」

待ってましたとばかりに、林が身を乗り出す。
「データ的には小波乱と言えばいいですかね。上位人気がそろって消えることはないですが、1頭、多くて2頭は穴馬が絡むときも多く、絶好の穴馬がいれば上位人気との組み合わせで期待が持てます」 「ここ最近は逃げ切りが少なく、ロジャーバローズが最後っすね」
「かといって追い込みも厳しく、勝ちきったのはドウデュースぐらいっす」

「うむむ……」と唸る寺田。 「次、橋田。調教と血統的にはどうだ?」

「はい。やはりサンデー系と言いますか、ここ5年の勝ち馬の父はキタサンブラック、エピファネイア、サトノクラウン、ハーツクライ、ディープです。問題は調教なんですが、先週の水・木の本追い切りを見たものの、これといったのが……」 珍しく橋田の歯切れが悪い。

「皐月賞から直行する有力馬は中5週でゆったりしてますけど、トライアルを使ってきた別路線組は間隔が詰まってて、お釣りが残ってるかどうかが怪しいんですよね……」

寺田がビールグラスを見つめながら、ぽつりと言った。
「やっぱり、皐月賞組が王道か……侮れねえよな」


と言いながら寺田がニヤリと笑った。

「実は……とっておきが2つある」

「えっ、何ですか!?」 橋田が身を乗り出した。

「ダービーだけは、毎年寺田さん当ててますもんね!」
林も箸を置き、待ち構えるように視線を送る。

「とっておきというか、俺なりの見立てなんだが……先週のオークスで津村がいい仕事したろ。結果は4着だったが、直線のラスト100メートルまでは先頭を走ってた……」

「リアライズルミナス!」 林が叫んだ。

「そう、その馬だ。ありゃあ津村が、ダービーの『予行演習』をしたんじゃねえかって思ってんだ」 「なるほど。オークスで一発狙いつつ、次週のダービーでの乗り方を見据えてたってやつですね」 橋田も深く納得した表情を見せる。

「で、もう一つは?」
「うん。皐月賞で4着だったアスクエジンバラだが、水曜の本追い切りは, 落馬負傷の影響で岩田の息子(望来)が乗ったらしいんだ。だが、あんまり良い感じじゃなかった」

「そうです、そうです! 時計的にもパッとしませんでしたし」
橋田が激しく同意する。

「ところがだ……日曜日にもう一度、今度は親父(康誠)が乗って追い切ったら、これが超抜群のタイムよ! 岩田の親父は常々『ダービーが目標だ』って言ってたらしいからな。
一発狙っていいんじゃねえかな」

「なるほどぉ~」 橋田の目が輝く。
先週、寺田の言葉を信じてジュウリョクピエロを本命にして当てた男が、二匹目のどじょうを狙っているのは見え見えだった。

「じゃあ、寺田さんはリアライズシリウスか、アスクエジンバラですか?」
「皐月賞の1着と3着馬は? 名前が挙がりませんけど」 林が不思議そうに尋ねる。

「ロブチェンの力は認めるがワールドプレミア産駒だし、ライヒスアドラーはシスキン産駒。正直、新種牡馬勢はよくわからねえのが本音だ。

『ダービー馬はダービー馬から』なんて格言もあるが、今年はどれが来ても違うんじゃねえかと思ってな。だったら、違う角度から攻めたっていいだろ」

三人の予想は、これでまとまった。 橋田は今回も寺田のヒントに乗り、津村のリアライズシリウス(皐月賞2着)からの馬券を組み立てる。

寺田は岩田親父の執念を信じ、アスクエジンバラ(皐月賞4着)から勝負に出る。

そして林が最後に、待ってましたとばかりに胸を張った。

「寺田さん! 時代はAIです。実は俺、さっきから『最新の生成AI』に今年のダービーの勝ち馬を分析させてたんすよ!」
「おいおい、林。お前AIに競馬の予想なんてさせてんのか?」

林は自慢げにスマホの画面を二人に見せる。

「阿部監督(ジャイアンツ)のニュース、そしてAIが導き出した『巨人のサイン』……。

この2つのデータを掛け合わせた結果、AIが出した答えが『ライヒスアドラー(帝国の鷲=巨人)』だったんすよ! 

これぞAIを駆使した超リアルなサイン馬券です!」
「バカ言え。AIにそんなオカルト覚えさせんじゃねえよ」 寺田は呆れながらそら豆の皮を剥いた。

しかし林の目は真剣そのもの。結局、彼はライヒスアドラー(皐月賞2着)から行くようだ。

こうして、結局は皐月賞の2着馬、3着馬、4着馬をそれぞれ軸として、今年の日本ダービーに挑むことになった三人。





だが――「皐月賞馬ロブチェンの母の父が、ジャイアンツコーズウェイ」であったことに気がつく者は、まだ誰もいなかった。



「おい林、巨人のサインなら、ロブチェンの方じゃねえのか?」 「えっ!?」 翌日の夜、競馬新聞を隅々まで読み返した橋田の素っ頓狂な声が響くのは、また別のお話。



2026年の日本ダービー、三人の予想の行方はどうなることやら。

 

先週の結果

~~~先週の結果~~~
2026年5月24日(日曜) 2回東京10日    発走時刻:15時40分 天候 曇 芝    良
11レース 第87回優駿牝馬GⅠ  結果
 
1着 16   ジュウリョクピエロ           牝3         55.0        今村 聖奈  2:25.6                    
2 着12   ドリームコア            牝3         55.0        C.ルメール  クビ       
3 着 18  ラフターラインズ              牝3         55.0        D.レーン   クビ       
 
単勝 16  1,090円 5番人気
複勝 16  330円 6番人気  12  190円 3番人気  18  140円 1番人気
枠連 6-8  700円 3番人気
ワイド 12-16  1,150円 13番人気  16-18  790円 8番人気  12-18  390円 3番人気
馬連 12-16  3,210円 12番人気
馬単 16-12  8,450円 30番人気
3連複 12-16-18  3,220円 10番人気
3連単 16-12-18  30,330円 99番人気

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